もしもご自身が『死』を覚悟したときに何を考えるのか。お葬式や連絡すべきところ、様々なことを途切れ途切れの意識の中で考えることでしょう。つい先日、私は自宅で気を失い同居する母が救急隊を要請し、現在、診察治療をしている東京都内の大学病院へと搬送されました。病院に到着したことさえ、自分がどうゆう状態なのかも一切分からず、いわゆる「意識なし」と判断され、集中治療室で看護師さんに一生懸命に声を掛けられていることでようやく意識は戻り、気が付くとどうやら病院のベッドに横たわり、鼻からは酸素の管をされていました。
何度も「ここはどこか分かりますか」と聞かれていましたが、全く分からず、また、返事もできない状態で「言葉を話せない、思考能力がない」状態でした。
ベッドの上で何時間過ぎたことでしょう、両手両足はベッドに縛られているようで身体は全く動かない状態でした。後で話を聞くと、病院で大暴れをしてベッドに縛り付けられていたそうで、看護師さん達にも相当迷惑を掛けていたそうで我に戻ったとき、申し訳なくて仕方なかったです。
徐々に意識が戻り、看護師さんの質問にもろれつがもつれながらも答えられるようになったとき、冒頭で書いたように『死』を感じました。そしてその「死」を感じたときに頭が回らないながらも考えたのが、「残された母の生活は大丈夫だろうか」「お葬式をするにもお金が掛かるが大丈夫だろうか」「仲間に連絡をできるか、また手伝いをしてくれる仲間に連絡をできるのか」など様々なことを考え、一番は自分が助かることだが自分は助かるのだろうか等を考えました。この様に「死」を真剣に覚悟した経験は、以前刑事をしているときに一度ありましたが、今回のように細かく真剣に考えたことは初めてで、この気持ちというのは実際に「死を覚悟、または絶望に近い危機感を持った者」でしか考えないことと思います。遺言ではありませんが、連絡してもらいたい者、お金の管理先や金額、もし自らが「死亡した時」に協力してくれる信用ある人間は、何かに書き留め、残された者、家族が困らないようにしておくことはとても大切で重要なことと今回の件でつくづく感じました。そして、自分自身も残された家族が途方に暮れないように最低限の準備はしておこうと痛感しました。
セレモニー飛翔
住所:神奈川県横浜市神奈川区菅田町776-1 2-8-205
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