令和8年5月20日、日にちが次の日になる少し前、私の母は

query_builder 2026/06/03
令和8年5月20日、日にちが次の日になる少し前、私の母は
令和8年5月20日、日にちが次の日になる少し前、私の母は
86年の生涯を苦労しながらも最後は本当に安らかな顔で旅立ちました。
恐らくは、私を悲しませないよう入院先病院からの連絡で自分に会いに来るであろう、弱虫、泣き虫の馬鹿息子に旅立つ瞬間を絶対に見せないと覚悟を決めて急いで旅立ったのでしょう。
私が病院に到着し母の顔が余りにも安らかな顔で、私には、少し笑った顔に見えました。
私は息子、母の考えそうなことで、思わず不謹慎なことかもしれませんが、
  かぁちゃん、やりやがったな?
と笑ってしまい、多分、いや、間違いなく私に最後に気を遣ってくれた母に、
  有難う。これからは、いつものように早く起きろって
  絶対に言わないから、思う存分に寝てろ
  起こさないからな
  おやすみ。
と話しかけました。
母の顔のお陰で、私自身も泣き崩れる事なく、次の段階である、葬儀社として母を送り出してやる葬儀担当者を先ずは最優先として、次に息子、喪主として生前の母を知る方々に連絡も進めました。
横浜市内の現状は幸いにも長期に火葬待ちすることなく、もう1件御依頼を受けていた方には母が亡くなって御迷惑を掛けるかもしれませんが、生前の母であれば間違いなく、自分ではなく仕事を優先し仕事は最後までしっかりら全うしろ!と言うことは間違いなく、母の死は聞き流して下さいとお願いしましたが、逆に何を言ってるの?と注意されてしまい考えが間違ってますよと、お母さんを優先しなさいと言って頂けました。
しかしながらなかなか踏ん切りもつかず、従兄弟がひとり、私の生まれ育った福岡市から急遽葬儀に来てくれることになったので従兄弟がいつまで居れるのか確認後、火葬場予約をすることにしました。
結果、23日には福岡に帰途しないといけないスケジュールで変則ですが、火葬を23日昼頃、前日に通夜の一日葬で参列者の方々にも式後に通常の花入れをして頂き、その後食事を皆で行い、23日は火葬時間に合わせて安置所兼式場を出棺しました。
母を乗せた車には私ではなく従兄弟が乗車し、私は先発で火葬場で受付を行い搬送車を待ちました。
来て頂いた住職は以前から何かと御縁がある方で、お骨上げまでお付き合い頂けました。

葬儀が無事終わり、葬儀社担当者としての仕事も全う出来ました。
これで母を連れて帰宅できる、従兄弟と共に帰宅した直後、自分自身の異変に気が付き、直ぐに私のかかりつけの病院、母が最後を迎えた病院でもありますところに連絡しました。
直ぐに救急車で来るように指示され、母の御骨もそのままの状態で私と付き添いの従兄弟、病院到着し緊急入院となりました。
5月23日葬儀直後に今度は私自身が入院、肝臓は当然、腎臓も危ういと思っていましたが案の定、予感は的中、更には開腹手術が必要な状態でした。
自分も母の看病から相当無理していることは認識し覚悟はしていましたが、ここまでとは。

現在も私は入院中。ただただ気になる事は、母の御骨のことと未だに一度も、しかも、心から泣けてあげられていないこと。

退院がいつくらいなのか。不安がつのりますが先生の指示に従うことが必ずや良い結果を出してくれます。
今は何も考えず治療に専念致します。

私自身のこと、更にはかなりの長文になり大変申し訳ございません。
ただ、御時間のある方だけで結構です。
目を通して頂ければ有難いです。
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セレモニー飛翔

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